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東京でサラダ菜の販売に関する会議がありました。
我家では主力の作物はサラダ菜です。
サラダ菜の栽培農家は地域に20軒います。
色んな年代の方がいるのですが、会議の後の宴会で、70代の生産者の内田さんから、面白いお話を聞きました。
昭和28年くらいのお話です。「昔は、舞阪駅から、夜行列車で新橋駅に4時半に着き、築地市場へ行ったもんだ。」
遠州地方は古くからの洋野菜の産地で代表的なものにセロリーがあります。内田さんはセロリーの先駆者で、進駐軍の特需需要で大変高値で取引されたそうです。
当時は化学肥料などなく、下肥をかけて栽培していたが、将校が食べた、レタスからミミズが出てきた事件があり、清浄野菜でないと、進駐軍が買ってくれないことから、化学肥料の使用した清浄野菜が広まったのはこの頃からだそうです。検査に来たGQの目を欺き、肥溜めはふたをして隠し、栽培土壌のサンプルを山の赤土にすりかえたそうです。
「進駐軍を騙したセルリーが、今日の浜松の洋菜の礎を築いたんじゃ。」
少年の瞳になった内田さんは続けます。
昔のセルリーは茎の部分は生育の後半に新聞の腹巻を着けて白く軟白して根付きで収穫し、セロハンのスカートまいて出荷したそうです。
そのセロハンを買いに自転車で雄踏町から、浜松の町までこいでいったそうです。
当時の値段で6本入りの1箱が1万円したそうです。
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